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こんにちは。Weekender編集部の永田尚子です。

夏の終わりの19:30、目玉焼きを乗せた焼きそばと、いんげんの胡麻和え、ミニトマト、茹でた落花生(今年初物の千葉県産の生落花生。去年東京に来て知った美味しさです)と、少しポテトを揚げて、夫に子どもたちを託して記事を書いています。

思い返せば、実家を出るまでの食卓って、母の選んだ食材しか並ばないですよね。
我が家の場合なぜか「いんげん」が食卓に出てこなかった食材No.1で、大人になって家庭を持ってからも、なんとなくスーパーで目が合っても買うことがないままここまで来てしまいました。
つい最近、長男が「いんげんって美味しいよなぁ」と言うので買って茹でてみたら、それはそれは美味しくって、それからよく手に取るようになりました。

他に出てこなかったのは、なめこ。
初めて食べたなめこのお味噌汁のおいしさは感動的でした。
母は嫌いやったんかな、今度聞いてみようっと。

冒頭に「夏の終わりの~」なんて書いておきながら、海でBBQも、夏祭りも盆踊りもしていない2021年の夏が終わるなんて認めたくないですねぇ。

さて、今回のテーマは「子育てをしていて嬉しかった言葉、励まされた言葉は?」です。

前回のボスの記事「母になるまでは知らなかった感情、嬉しかった言葉」を読んで、「そうそう!何気ない一言が沁みるよなぁ」と共感の嵐でした。

私は今3人目の息子を妊娠中。
ちょうど臨月に突入したのですが、自分の意思とは関係なくお腹の中で別の命がボコボコ動くからか、動物の本能として「守らねば」と常々思っている緊張感からか、涙腺がとんでもなく緩くなっています(先日は、大昔のハモネプで号泣)。

過去を振り返るだけでも、一人しんみり感動に浸りそうになるのですが、せっかくなので日常の何気ない一言とは少し違った角度で、ちょっとドラマチックな3つの言葉について書いてみたいと思います。

子育てをしていて嬉しかった言葉、励まされた言葉
3歳だった長男からの「クッキー作ったら、お母さんの元気も作れる?」

同級生からの「尚子のお母さんに、どう育てたら尚子みたいな人に育つのか聞いてん!」

道端のおばあちゃんからの「子育て大変でしょう?でも今の可愛さがプレゼントなの!先にご褒美をくれてるの!あとはおじさんになるだけよ。」

 

3歳だった長男からの「クッキー作ったら、お母さんの元気も作れる?」


衝撃的でした。

私が珍しく人間関係でちょっとつまづいてしまったことがあり、仕事関係で信頼していた人から心無い言葉を言われて放心状態だった時のこと。

家事も買い物もするけど、もぅ水をパンパンに含んだスポンジが歩いているみたいな状態で、ふと思い出しては目から水が落ちてくるみたいな時期だったのですが、いつものごとく「クッキー作りたい」という息子の要望で室温に溶かしたバターを練っていた時に息子が言った一言でした。

偶然だったとしても、そんな風に大人の心を打つ文章が口から出ることへの驚きと、幼いながらに私のことを見て感じてたことへの感動と反省みたいなものが混じって、急速充電されたように私は元気になったのでした。

「まだ3歳やから」とか「子どもは子ども」と思って、大人の事情や詳細を省いて、子どもの前では、泣いたり弱音を吐いたりしないしっかりした母役に徹していましたが、その時からどんな出来事も感情も、ツバメが我が子に餌を与えるように噛み砕いて伝えてみようと思えるようになりました。
(その結果、以前の子育て交換日記vol.7「あぁ疲れた~と声に出してみる。お母さんも閉店ガラガラ宣言。」の思想に繋がりました)

 

同級生からの「尚子のお母さんに、どう育てたら尚子みたいな人に育つのか聞いてん!」


これは、私の結婚式に出席してくれた高校の同級生からの結婚式後のLINEでした。
(つまり私はまだ母になる前で、彼女は先に結婚していて母として育児に奮闘中)

彼女曰く「尚子のお母さんが言うにはな、母はそこにおるだけでええねん!見てるだけでいいらしいねん。」と。

この母のシンプルな一言をそんなに深く受け取ってくれたことに関しては、彼女の想像力と感受性に拍手ですが、それ以来彼女は私の母を師匠と呼び、育児に悩んだり、珍事件が起きたりするたび、「師匠の信念に立ち返ってる」と、私に近況報告をしてくれるのです。

当時は「え、私の母に?なんでそんなこと聞いたん!?笑」くらいでしたが、自分が子育てをする側になり、子育てのベースはどうしても自分が育てられる過程で得た経験になるので、知らず知らずのうちに私も母や父を参考にしていると思うのですが、私にとっても両親にとっても、どれだけ嬉しい一言かということをじわじわ感じるようになりました。

NEXTWEEKENDのお悩み相談企画「編集長がこたえます」の「自己肯定感が低い息子。自信を持って生きてほしいです」というお悩みの中でボスが「“自分はただいるだけで価値のある存在だと感じてもらう”というのは、親の最も重要な任務だと思います。」と書いていましたが、まさにそうですよね。

友人のその一言は、間接的にまるっと私の存在を肯定してくれた上に、それを母に伝えてくれて、きっと母も(当時でいうと)25年の時を経て自己流の子育てを認められたような気持ちでほくほくしたんじゃないかと想像しています。

チャンスさえあれば自分もどんどん贈りたい言葉のギフトとして大事に心にしまっています。

 

道端のおばあちゃんからの「子育て大変でしょう?でも今の可愛さがプレゼントなの!先にご褒美をくれてるの!あとはおじさんになるだけよ。」


あぁ、もぅ掛け軸にして飾りたいぐらいに気に入っている言葉です。

そうなんですよね。
身長が2m近くになろうが、若者に煙たがられる上司のポジションになろうが、きっと何歳になっても母にとっての息子は息子なんでしょうけど…この発想はなかったなと何度も噛みしめては、「今=ご褒美!」と唱えています。

当時住んでいた大阪あるあるかもしれませんが、お出かけを控える新生児期間を経て、抱っこ紐を付けて外の世界に出ると、びっくりするくらい知らない人にしゃべりかけられるんですよね。

赤子を見ては「今が一番いい時やね~!」というのはその決まり文句で、「ですよね~!」なんて笑いながらも慢性的な寝不足と疲労から「いやぁ、カフェで本も読みたいし、思いっきりお酒も飲みたいし、全部我慢して納豆ご飯で栄養補給して、日々修行の身やで~!早く子育てを終えて、自由になりたいで~!」とダークな気持ちになることもありました。

でも、真っすぐな瞳を潤ませて反抗したり、すべすべの足の裏を布団の中に滑り込ませて甘えてくるなんて日は、明日にでも終わるかもしれないご褒美ボーナスタイムだったんですよね。

もしかしたら今まさに産後すぐのお母さんたちは、当時の私のように、ゴールが見えない育児が暗いトンネルのように思えて、早くしゃべってほしい、立ってほしい、歩いてほしい、と思う日もあるかもしれません。
少しでもご褒美タイムを実感して、気持ちがスンと軽くなればいいなぁ。

実際、6歳になった長男が小学生になった途端、保育園のようにその日の出来事や笑い話を共有するような先生と親のコミュニケーションもめっきりなくなり、朝に家のドアを出て帰宅するまでは自分であれこれ選択しながら生きてるんやなぁと喜ばしいやら、寂しさでしんみりするやら。

とはいえ、発言も行動もまだまだ幼いまま。
3歳の時には冒頭の「クッキー」発言で感動させてもらったのに、上の子にはつい期待してしまう分、強く注意してしまうこともあります。

そんな時には、この穏やかな気持ちを取り戻せる魔法の言葉を思い出したいな。

ここまで達観している仙人みたいな思想の人に、道端で出会えた幸せたるや…私も責任をもって後世に語り継いでいきたいです。

 

さて、次にバトンを渡すのはGARTEN COFFEE店長のあさみさん。

この夏、息子の水筒に麦茶を入れたつもりでキンキンに冷えた鰹出汁を入れて持たせてしまったという愉快なエピソードは、毎日水筒を洗うたびに思い出しては元気をもらいました。

あさみさんは、本来の感性の豊かさからか、ラジオDJとしてご活躍されていた経験からか、ポロっと出る日常会話の言葉選びがコピーライティングのようにコンパクトなのに濃厚で秀逸。
なので、きっと周りの人に記憶に残る一言を振りまいている側の人だと思いますが、そんなあさみさんの嬉しかった言葉たち、聞かせてください。

 

Illustration:Chiharu Nikaido

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