NEXT WEEKEND DATE

6ターン目の交換日記のバトンが回ってきました。
オンラインストアディレクターのひかりです。

この日記を書いているのは、NEXTWEEKENDの新プロジェクト「FAMILY NOTE」の展示会の最中。

私は静岡の我が家から応援しているのですが、プロジェクトに込めたみんなの熱い想いがどうか、どうかこれから多くの人に届いていきますようにと心から願っています。

家族って、簡単なようで難しいですよね。そして繊細。

“察する”ことで上手くいってしまうように見えるから、足りなかった言葉や些細な気持ちのすれ違いが、互いの中で大きく膨らんでしまうまで気づきにくい。

「愛している」という言葉を発するのにすごく勇気のいる国だけど、言葉にすること、形にすることの機会をあきらめなければ、家族の絆はきっと育てられる。いつからだって遅くはない。

FAMILY NOTEプロジェクトを通して、子どもに対しても親に対しても、夫に対しても改めてそう思うようになりました。

本題に戻りますが、今回の交換日記のテーマは「実は感謝している、夫のそういうところ」ということで、熱々のコーヒーを飲みながら自分にインタビューしてみました。

以前、夫と言い合いになってしまったとき、「やられたことじゃなくて、やってもらったことを思い出そうよ」と彼から言われ、その言葉がずっと心に残っていて。

恥ずかしながら私は根に持つタイプなので(笑)、彼にされて悲しかったことや辛かったことをずっとグチグチ言って、「忘れるもんか!やったことは一生取り消せないんだからね!!」とややヒステエリックになっていたのですが、時間をおいて考えたら本当にその通りだなと反省して、彼がすごく大人に見えたのを覚えています。

なのでその言葉をちゃんと実行に移すつもりで、照れずに挙げてみたいなと思います。

実は感謝している、夫のそういうところ
1.なんでも「一緒に」が当然
2.納得するまで会話する
3.今日のことは今日話す、そして参加型

 

1. なんでも「一緒に」が当然

腰痛で整骨院に行くといって、夫が当然のように娘と私を車に乗せるので、なぜか彼の診療に同伴したことが何度かありました。
(ただ待合室で一緒に待っただけ…)

スーツやゴルフウェアなど彼の個人的な買い物ももちろん家族同伴で、お互い別行動で私用を最短で済ませたい私としては、「なんてもったいない時間の使い方なんだ…一人でしてくれ…」と思うことも多々。

でも彼の中には、限られた休日でやらなきゃいけないこともあるけど、せっかくならできるだけ家族と一緒に過ごしたいという気持ちが多分あって、結局は、お出かけの帰りに食べるお昼ご飯も、道中の車でみんなで聞く音楽も、積み重ねてみると楽しい思い出だったりします。
娘もいつも嬉しそうだしね。

考えてみれば平日は基本的に娘は保育園、夫と私はそれぞれ仕事をして、「家族一緒」の時間は少ないから。

関係のないことに巻き込むのは悪いと、変に人を遠ざけてしまう癖のある私としては、そういう夫の寂しがり屋な性質は逆にありがたかったりします。

「なんでいつもいつも…」と思うことも、それによって助かっていることって意外とあるなあと、コーヒーを半分くらい飲んだところで今思いました。
うん、ありがとう。

 

2. 納得するまで会話する

泣いたり怒ったりするのって、身も心も本当に消耗しますよね。
(子どもってなんで毎日あんなに泣いて怒っているのに、すぐにケロッと元気になるんだろう…っていつも不思議に思います)

だから夫と小さな言い合いになって「あ、これヒートアップしそうだな」と思った時は、いったん話すのをやめてしまったりします。

それはそれで良い時もあると思うのですが、私の悪いところはとりあえずそのままにしてしまうこと。

でも彼は引きません。

これは自分の意見を絶対に通す、という意味ではなく、理解できない相手の考えがあった時に、「もう何言っても無駄だから」とあきらめずに、自分はなぜ理解できないんだろう、間違って解釈をしている部分はないか、自分は本当に間違っているのか…と、すごく深いところまで考える。

その上で、やっぱり納得できないところは納得できない or よく考えたら自分が悪かった と、時間が経ったあとで理由もセットで話題に出されることが多い。
そこでお互いもう一度フラットな気持ちで会話ができる。

終わったことだから、と何でも過去として固めてしまう前に、「この前の話だけど…」といい意味でほじくりかえすことも時には必要だよな、とよく気付かされます。

 

3.今日のことは今日話す、そして参加型

夫は仕事から帰るなり、その日あったことや同僚との会話の内容まで事細かに発表します。
(なので、まるこちゃんのアニメを見ているように、頻繁に登場する会ったことのない人物の名前や風貌、性格までも知っている気がします)

その時間はだいたいキッチンに立っているので、「ふーん」と軽めの相槌を打っていると、「で、どう思う?」と、突然会話が参加型になったりするのです。

それを分かっているので、普段からけっこう意識的に登場人物や夫の立場になって、自分なりの解釈をしながら話を聞くようにしています。

で、そうやって本人を取り巻く環境や今の状況を1日単位で理解していると、時たま彼の様子がおかしい時も(何故か機嫌が悪い、上の空、など)、「あ、今そういう状況だしね」と、理解して受け入れることが出来る気がします。

“察する”ということは、会話をしないということではなく、きっと互いの気持ちを普段からシェアし合っている上で成り立つもの。

私も子どもの頃は母にそうやってなんでも話していたはずなのに、いつからか「話しても関係がないから」と他人に対して今の気持ちを共有するということが減ってしまった気がしていて、そこは見習わなくてはと常に思っています。

 

 

さて、次にこの日記を渡すのは、昨年大阪から東京へ引っ越して、家族の新生活がはじまった尚子さん。

会うたびに「いつもありがとうね」と飴ちゃんをくれたり、なんでもない日に突然お手紙付きの小包を届けてくれたり、彼女は日頃から想いを言葉にしたり、形にすることを本当に自然に心地よく出来る方だなぁと尊敬しています。

そんな尚子さんがどんな視点で、旦那さんへ「実は」と思っている感謝を綴ってくれるのかとっても楽しみ。

ぜひ教えてください!

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