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こんにちは。村上萌です。

ママメンバーも増えてきた子育て交換日記も、今回で5ターン目…!

定期的にこうやって子育てについてアウトプットさせてもらえる機会はいいよなぁ、なんて思っていましたが、今年は早々にコロナ禍に突入して、家族間での工夫や時間の使い方もそれぞれに大きく変わった2020年でした。
(なんだかもう今年の締めに入ってるけど…)

 
私はと言うと、娘が先月3歳の誕生日をむかえて、いよいよ会話が完璧に成り立つようになり、それと同時に自分に矛盾があると、すべて娘に見透かされるというフェーズに入りました。
(今朝も、朝イチで「アイス食べてもいい?」と聞かれたので「起きたばかりで食べないよ」と伝えると、「昨日は寝る前に食べないよと言ったけど、昼間は保育園に行ってるし、じゃあいつ食べればいいの?」と真っ直ぐな目で聞かれて、ちゃんとご褒美のアイス時間作らなくてごめん…。自分で計画を立てることもなければ、情報収集することもないこの子たちは、いつだって目の前のことをものすごく楽しみにしてるんだもんね…、と反省しました…。)

 
そんな娘に対して言葉を選ぶ時、それから、自分自身の反応や提案などによって、彼女にどう感じて欲しいかを考えようとすると、必ず出てくるのが自分の幼少期の記憶。

その時初めて、当時自分の親がしてくれたことの裏側を想像したり、言葉の意図を理解できたりすることが多々あります。

そこで、自分が子育てをする中で、数十年の時を経て新しい角度で受けつがれていく親から与えてもらったもの、というのを今回のテーマにしたいと思います。

子育てしてみて気づいた、受けつぎごと
1.誕生日をちゃんと特別にしてあげること
2.親のリアクションが最初の判断基準になること
3.独自の設定で日常を楽しむこと

 

1.誕生日をちゃんと特別にしてあげること

まず1つ目は、私の新著「受けつぎごと。」の中でも書かせてもらっていることなのですが、誕生日を特別にするということ。

私はお盆のど真ん中に生まれたということもあり、学校は必ず休みで、朝起きてリビングに行くと、自分の椅子にリボンがしてあって、唐揚げにシャケご飯にシフォンケーキ、とにかく好きなものを沢山作ってもらえる至福の1日でした。

そんな風に育ててもらったので、とにかく誕生日が来るのがいつだって楽しみで、大人になると「誕生日なんて全然嬉しくないよね」なんて会話も聞こえてきますが、相変わらず、33歳の誕生日もわくわくして迎えることができました。

行事や伝統に本質的な問いかけをしながら、必要のないものが削ぎ落とされていくことは、歴史の中で往々にしてありえることだと思いますが、やっぱり誕生日だけは特別でいいんだと思います。

「生まれてきてくれてありがとう」の言葉も、自分が当たり前に生きていると思っていた小さな頃は、深くは理解できませんでしたが、今となれば、親がそれを伝えたいと思う気持ちもよく分かるようになり、それと同時に、この言葉をかけ続けてくれたおかげで、どんな時も「自分なら大丈夫」と根拠のない自信を持っていられたのだと実感します。


娘にも「今日はあなたが生まれたから、特別な日なんだよ」と、毎年毎年、これでもかってほど可愛がりたいと思っています。
(3歳になった今年の誕生日は、記念にイルカと泳いだ娘。地蔵のような顔で必死に背びれに摑まりながらも、ずいぶんと自信になったようです)

 

2.親のリアクションが最初の判断基準になること

大人になると、当たり前に自分の心で感じたことがリアクションとなって他者に伝わりますが、子どもの場合はどちらが先なのだろうと考えたりします。

というのも、娘はプレゼントをもらうと、両手で口をおさえて「え〜!ありがとう〜!」と、とびきり感激したり、どこかに行くと「たのしいね、たのしいね!」と何度も言葉にしたりと、どう考えても大人のリアクションから影響を受けて、その時の気持ちを表現する方法として、数少ない記憶の中からそれを再現しているように見えます。

感じるより先に、こういう時のリアクションとしてすり込まれている部分もあるのだろうな…。と。

私自身、子育てが始まってまもないころ、真っ赤な顔をして泣き叫ぶ新生児の娘を前にして、自分の両手の中に抱えた命へのプレッシャーがとにかく大きすぎて「どうしたらいいんだろう…このまま泣きすぎてどうにかなったらどうしよう…」と、気が気じゃない時に、母が笑いながら「あぁ、可愛い!」と言ったことで「え、これって可愛いと思っていい瞬間なの?」と気が抜けたことがありました。

今考えればどう考えても可愛い瞬間ですら、可愛いと思ってはいけないと思い込んでいると、それに気づけないんだと知ったのです。

幼い頃の記憶ではありませんが、親のリアクションは判断基準になるんだなと思った瞬間でした。

だとすれば、これからも娘には、教える以上に隣で沢山のリアクションを見せたいし、嬉しい時、楽しい時に言葉にするのはもちろんのこと、驚くことや、違和感のある時にだって諦めずにちゃんとリアクションしていきたいな、とつくづく思っていたりします。

 

3. 独自の設定で日常を楽しむこと

「〜なのね」というのは、おそらく私の母の口癖でした。

たとえば、母以外の家族が川の字になって寝室で昼まで寝ている日曜日なんかに、だいたい「象が来たのね」と言って母が布団の上を通過していくので、みんなで潰されそうになって、わーわー言いながら起きて来たりと、すぐに独自の設定での茶番劇を本気で楽しむ家族でした。

おままごとや、ちょっとした設定は子どもの得意分野ですが、親がこんな風に日常を遊びに変えてくれたので、小学生になっても中学生になっても、家庭で思い切り遊べました。

反抗期や思春期こそ若干あったものの、家族で行く毎夏の旅行に、私も弟も欠かさず参加していたのは、やっぱり家族の仲が良かったからなのだと思います。

今、娘がご飯を食べずにふざけていたりする時に、注意しても聞かないなら、叱り続けたりその場を去るのではなく、「ティンカーベルが来たのね」なんて言って、自分も何かになりきって、娘も私も楽しみながらご飯を食べさせる自分の切り替え方を見ていると、日常をユーモアに変える母の視点のおかげだなと思ったりします。
(気づけば私より先にピーターパンになっている夫のおかげでもありますが)

インプットとアウトプットは同時並行することで、より濃くなっていくなんて言いますが、まさに今は娘に対して必死でアウトプットしながら子育てしている最中で、それと同時に幼少期の自分の経験を今一度インプットしているような日々です。

 

 

次に交換日記のバトンを渡すのは、弊社1番の古株、ひかりちゃん。

ひかりちゃんの結婚式に出席させてもらった時、「母への手紙」で、会場のほとんどが涙に包まれていたのをよく覚えています。

お母さんの年齢も若く、ひかりちゃん自身も若くして母となり、きっと子育てを通して、色々なアイデンティティに触れているのでは…、と思っています。

どんな状況でも、ちゃんと今自分の目の前にある幸せを実感できることと、自分を信じることを諦めないのは、私がひかりちゃんの1番好きなところです。

ひかちゃん、娘の柚(ゆず)ちゃんも沢山喋れるようになってきて、毎日どんな思いで言葉をかけてる?

ひかりちゃんの受けつぎごと、教えてもらえたら嬉しいです。

 

Illustration:Chiharu Nikaido

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