こんにちは、営業・広報のあやのです。
2021年になってから、NEXTWEEKENDで筆を取るのは初めて。
今年も熱量高めに思いを届けていきたいな。どうぞよろしくお願いします。
さて、あさみさんからバトンを受け取りました、子育て交換日記。
(自然とともに生きるあさみさんのご実家の環境は私の憧れです。前記事をまだお読みでない方はぜひ見てみてくださいね)
5ターン目のテーマは、「子育てしてみて気づいた、受けつぎごと」。
私事なのですが、大学時代「家族社会学」という学問を専攻していました。
昔から自分や他人の言動・行動を「なんでそうしたんだろう」と分析するのが好きというか癖で、そうしていると必ずその背景には家族があるような気がして、本当にそうなのか、どのくらいそうなのか、興味があったし確かめたかったんですかね。
例えば「親が専業主婦だとその子どもも専業主婦を望むようになるのか」みたいなことを、アンケートをとって分析してレポート書いて、とかやっていました。
そんなこともあって、家庭環境、特に両親から受ける影響についてはずっと向き合ってきましたが、いざ子育てが始まると、いよいよ自分のやること為すこと、些細な判断基準も全部、親からもらった受けつぎごとが軸になっていることを痛感しますね…。
親として・子どもとして、どちらの気持ちにもなれる今だからこそ、親が私や弟に対して「こう向き合おう」と選択・決断してとってくれたスタンスや、注いでくれた愛情には頭が上がらないし、とはいえ面と向かって伝えるのも恥ずかしかったりするので、こうして言語化する機会があることも有難いと思っています。
息子も1歳を過ぎてかなりコミュニケーションが取れるようになり、今まで以上にかける言葉や見せる背中のひとつひとつに思想が必要だなあと感じている今日この頃。
我が家は少々クセの強い両親でしたが(特に父親)、今こそ真似びたいと思う受けつぎごとを棚卸ししてみたいと思います。
1. 押し付けるのではなく、引き出すこと
2. 愛情と事実を分けて伝えること
3. 夢を見させること
押し付けるのではなく、引き出すこと
高校生の頃。
大学受験の勉強が思うように進まず煮詰まって、夜中に「もうだめだ〜」と母に泣きながら弱音を吐いたことがあったのですが、その時母から返ってきた言葉は「いいからやりなさい」でも「そんなんじゃ受からないよ」でもなく、「あやのはえらいね。一生懸命やってない人からは涙は出ないよ」というものでした。
泣きついておきながら、え?怒らないの?と拍子抜け。
でも不思議と、「そっかあ、私えらいのか。じゃあもっとやれるかなあ」なんて前向き思考になれたことをよく覚えています。
(結果、第一志望合格!というおまけ付き。)
つい最近実家でその話をしたら、父親が「集中力とかやる気というのは、その人自身が持っている潜在的なもの。押し付けても意味がない、いかにして引き出すか」というようなことを言っていました。
あくまでも父の持論ですが、なるほどなあ、と。
初めての子育てに向き合いながら、ふと自分の口から無意識に飛び出す“お母さんっぽい台詞”に驚くことが度々あります。
きっと漫画やアニメ、周りのいろんなものから影響を受け 知らないうちに刷り込まれているのだと思いますが…
「もう、〜しちゃだめでしょ」「お兄ちゃんなんだから」などと言ってみたあとに、心に残るモヤモヤ感。
敷かれたレール、押し付けられた価値観の上ではなく、ひとつひとつが自分の選択だと思って息子が歩んでいけるよう、声をかけ 背中を押せる存在でありたいな。
日々精進ですね。
愛情と事実を分けて伝えること
私と弟は、幼い頃からほぼ毎日のように「かわいいねえ、良い子だねえ」と直接的な愛情表現を受けて育ちました。
おめでたいですよね…
その一方で、性格的な欠点については事実として容赦無く指摘され続けてもきました。
印象的なエピソードは、小学校6年生の頃。
クラスメイトの男の子を怒らせてしまい、ランドセルを掴まれて階段から10段ほど突き落とされるというちょっとした事件がありました。
当時空手を習っていて受け身がとれたからか(?)大きな怪我はなくアザが2つできたのみ。
とはいえ痛かったし、平和な日常の中では十分なハプニングだったので、それなりのテンションで家に帰り母親に報告。
心配されるかな、男の子に怒るかな?…なんて私の邪念を一蹴するかのように、母の一言目は「どうせあやのが余計なこと言ってちょっかい出したんでしょ?」でした。
これがまあ、図星なんですよね。
受験を控えて精神的に追い詰められていた男の子を、呑気な私がからかってしまったために起きた事件。
完全に私が悪かったんです。
それは自覚していたし、あれ、お母さん現場にいたかな?と疑うほどに見透かされていました。
その夜、男の子とお母様が菓子折りを持って来てくれた時も、母は私のしたことを謝っていたし何より男の子のことを気遣っていて、モンスターペアレンツとかいう言葉も聞かれる世の中だったけど、子どもながらに「うちの親は違うな…」と感じた出来事。
愛しているからもちろん味方だけど、それは何でもかんでも肯定することじゃなくて “最大の理解者である” ということなんだなあ、と大人になった今 じわじわ噛み砕いています。
愛情があるから安心できるし、事実をある意味平等に伝えてくれるから自己分析もできた。
これから息子が成長するにつれ色んなことが起こると思うけど、頭の片隅に置いておきたいスタンスだなと思っています。
夢を見させること
先の2つで結構現実的なことを書きましたが、両親には純粋な夢もたくさん見させてもらいました。
我が家は親からのクリスマスプレゼントとサンタさんからのプレゼントが別だったし、真実が分からないようにとてもうまくやってくれたので、だいぶ長い間(中学生くらいまでかな)本当にサンタさんがいると信じて疑っていませんでした。
例え友人が「うちに来たサンタさんのプレゼントにはダイエーのシール貼ってあったよ」と言って夢を壊そうとしてきても、頑なに(笑)
とあるイブの夜 父に寝かしつけられているときなんか、窓の外から鈴の音がしたことだってあったんです!
母が鳴らしてくれていたのかな…
あとは、歯が抜けたとき。
我が家では屋根に投げたり埋めたりするのではなく、枕の下に隠して寝ていました。
すると翌朝、抜けた歯が外国のコインに変わっているんです。毎回不思議で、でも魔法みたいで嬉しかったなあ。
こんな風に、忙しい毎日の中でも頑張って、ちゃんとワクワクを作ってくれたことには心から感謝しています。
今でもクリスマスには毎年思い出すし、外国のお金を見ると懐かしい気持ちになる。
そういう純粋な経験を積み上げることは、大人になればなるほど難しいですよね。
去年から本格的にサンタ業も始まったので(楽しみだった!)、しっかり受けついでいきたいです。
これで5ターン目も終わり。
次回はまた、我らがボス・萌さんにバトンを回します。
いつも素敵なテーマ設定で、今しかない感情の言語化の機会をくれるボス。
2021年最初のテーマは何になるかなあ。
今年はまた住まいが変わって、身も心も取り巻く環境が大きく変化することと思いますが、そんな萌さんが紡ぐ言葉たちを、最前列で楽しみにしています!
Illustration:Chiharu Nikaido