こんにちは。
NEXTWEEKEND代表の村上萌です。
「季節の楽しみと小さな工夫で、理想の生活を叶える」ということをコンセプトにしたNEXTWEEKENDでは、1ヶ月ごとに、その月のテーマを掲げて過ごしています。
2021年の4月のテーマは「自分のペースを作るために」です。
コンセプトはこんな感じ。
誰かがとても速く見えたり、
自分よりずっと、元気に見えたり、
したくなくても、比較しやすい、私たちの生きる時代。
誰かの”叶えたいこと”を、自分のそれだと思い込んで、
落ち込んでしまうのはもったいない。
今、自分の心の中にある”野心”をちゃんと耕して、
自分のためのペース作りから。
今耕したものは、たった数ヶ月でも、
ちゃんと実を結ぶはず。
それぞれに、明日が楽しみになる4月を過ごせますように。
このテーマを噛み砕いて、みんなで楽しむSNS上のハッシュタグは#野心を耕すです。
NEXTWEEKENDではこの月間のテーマに合わせて、叶えたいことをWISHLISTと呼び、毎月3つずつ提案しています。
今月のWISHLISTはこんな感じ。
私はこのWISHLISTに合わせて毎月3本記事を書いています。
1本目は「“今より、もっと”の気持ちが与えてくれる、春のインプット」という記事を、
2本目は「全体効率を良くしてくれるのは、納得できる部屋作り」という記事を書きました。
3本目となる今回は、WISHLIST「基本をちゃんと身につけたい」について書いてみたいと思います。
ただ、料理だって数学だって、基本を知っているから応用ができることは重々承知していますが、「基本」は、私にとっては、少しだけ苦手な言葉だったりもします。
というのも、この言葉が意味するものを調べていると「判断・行動・方法などのよりどころとなる大もと」などとあるように、社会人で言う研修期間と呼ばれる時間で教わることだったり、先輩や上司が「こういう時は、こう」と教えてくれることだったり、立ち返ることができる規範のことを指すのだと思います。
就職活動に失敗して、企業に就職することなく起業した私にとって、教えてもらうというスタンスでお金をいただける期間は存在しませんでした。
周りの人に、知らないことを気づかれないように、嘘はつかずに、だけどほんの少し背伸びをして、そして期日までになんとか追いつくということの繰り返し。
「自分は、みんなが教わるべき大事なことを知らないんだ」ということは常にコンプレックスでもありました。
だからこそ出会う人全てが師匠だったし、メールの文面、企画書、打ち合わせでの受け答えの仕方、少しでもチャンスがあれば吸収しようと必死でした。
起業して10年経った今でも、「自分は大事なことを知らないかもしれない」という気持ちは案外消え去ることがなく、もはや自分自身を鼓舞してくれるコンプレックスとして共存している気がします。
そんな中で、相変わらず「基本」を語ることはできそうにありませんが、分からないながらも、自分の中で発想を切り替えながら進んできた思考については、それなりに「基本の型」が存在していることもあるので、ちょっと書き出してみたいと思います。
まずは、ひとつめの型から。
「面倒だな」と思ったら「せっかくなら」
これは、普段から私の一番の口癖でもあり、しょっちゅう記事にも書いていますが、そもそもがとてもめんどくさがりやのため、面倒だと思う瞬間が毎日の中に何度も訪れます。
そんな時の魔法の言葉が「せっかくなら」。
「料理が面倒だな、せっかくだから美味しい塩を買ってみよう」
「雨で面倒だな、せっかくだから少し早く家を出てあのカフェに寄ろう」
「渋滞で面倒だな、せっかくだから英語の歌でもマスターするか」
と、こんなふうに面倒なことが起きた時、この言葉を続けると、諦めかけた目の前のことに対して、自分なりに小さな工夫が生まれます。
続いて、ふたつめの型。
想定外の出来事には「そう来たか」
ドラマだったら、ここでこうなる…!という大切な局面であっても、思うようにいかないのが人生というもの。
「なんで私だけ?」なんて考えてしまうと、どこまでも落ち込んで、恨んでもしょうがない他人や、もう変えることもできない過去に執着してしまうなど、いつまでも物事が進みません。
そんな時こそ「そう来たか」。
以前、お悩み相談の回答の中で、人生100年時代と言われる今、自分の人生が100巻の漫画だとしたら、自分の年齢を当てはめたのが今の年齢。
たとえば私の場合、33巻でピークを迎えるはずある?まだまだ序盤なんです。
ここからが面白くなるに違いない…!といった話を書きましたが、この「そう来たか」視点を持っていると、思うようにいかず上手くいかない時も、ちょっとだけ自分の毎日を俯瞰で見ることができたりします。
ちなみに、ある意味転勤族の妻である私は、これまでフルリノベしたのに1年で引っ越さなくてはいけなくなった札幌の家でも、娘の進学手続きが諸々終わって、やっと納得できる選択をし終えた時に離れることが決まった大阪の暮らしでも、この型によって次の手を考えることができた気がします。
そして、みっつめの型。
トラブルには「とんだ茶番だな」
大学時代の友達が、ものすごく傷つく失恋をした時に「ほんと、茶番なんだけど」と笑いながら泣いていて、「あぁ、この子はもう先を見ているんだ」と、その逞しさに勝手に励まされたことから、仲間内で一時期流行り使い始めた言葉。
失敗した時、恥ずかしい思いをした時、見栄やプライドが邪魔をすると、怒りでカバーして感情的になってしまうことがありますが、「とんだ茶番だ!」と思えると、なんだか気が楽になって、ちょっと弱い自分のことが愛しいとすら思えたりするほど。
ちなみに、あのチャップリンも「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」なんて名言を残しています。
結局のところ、自分に降りかかるひとつひとつの出来事に意味なんてなく、それをどう捉えるかで、人生の中での意味が変わってくるんですよねぇ。
しみじみ。
続いて、最後の型。
色々なことが重なって感情が爆発。
優先順位も何もかも分からない!となってしまった時は、
「そもそも、なんでこれをしているんだっけ?」
情報量が多く、自分以外の人のスピードがものすごく速く見えてしまうのが、今の時代。
そんな時に、見えない誰かを敵対視して、振り回されたり落ち込んだりしてしまうことも少なくありません。
自分のことなのに、何から手をつけていいか分からないほど混乱した時は「そもそも、なんでこれをしているんだっけ?」の、そもそも視点が重要。
NEXTWEEKEND編集部では普段からこの「そもそも」という言葉が結構飛び交っていますが、そのおかげで無駄な慣習ややるべきでないことは、次々と変革を遂げて新しい形に変わっています。
そう、「そもそも」のツッコミが自分自身にできると、邪念が削ぎ落とされて本質的になるのです。
喧嘩も怒りも、感情や邪念が邪魔をして強さを増しますが、「そもそも」を突っ込んでいくと、中心にあるとてもシンプルなものに気づかされることがあります。
だからこそ、定期的に自分にも「そもそも」のツッコミを差し伸べてあげると落ち着くかもしれません。
と、こうやって書き出してみると、それなりに培われてきた自分なりの思考法、基本となっている考え方がありました。
正解や本質の意味が問われるこの時代に、これまで大切にしてきた基本も少し見直して、そこにちゃんと自分の知恵を加えてみると、新しい武器として改めて身についていくかもしれません。
気づけば4月もあと少し!
引き続き、 #野心を耕す 良い期間になりますように!