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こんにちは、営業・広報のあやのです。

ちょうどこの記事が公開になる頃、我が家のボーイズはそれぞれ誕生日を迎え3歳と1歳になります。

私の父は、「あやのが3歳の状態で冷凍保存しておきたかった」とよく言っていました。

自分に子どもが生まれる前は、その表現に狂気を感じていたし(笑)はいはい、また言ってるよ、くらいにあしらっていたのですが… いざ我が子がその年齢になってみると、父の気持ちがもう、わかるわかる。

それなりに会話が成り立つけど、おかしな言い間違いがあったり、かと思えば大人もびっくりするような表現をしたり。

記憶が残りだして、少しずつ想像できるようになって、なんでも一人でやりたがって、でもまだまだ甘えん坊で…。

冷凍保存じゃあんまりだけど、言動ごと記録できる3Dプリンター(?)みたいなものがもしもあったなら、大金を叩くかもしれないと思うくらい尊いフェーズ、3歳。

2歳差育児、あーもー無理!な瞬間も山盛りだけど、心のシャッターを惜しまず切り続けて、今をちゃんと「味わう」が母4年目のテーマです。頑張っていこう。

 

さて、今回のお題は「今の場所から、子どもを通して見える景色」。

特に最近、実感していることを言葉にしてみようと思います。

今の場所から、子どもを通して見える景色

「優しい」って、すごいこと
「必要な時間」を知っておく大切さ
10年、20年後の生活が楽しみ!

 

「優しい」って、すごいこと

喋ること、歩き方、スプーンの持ち方ひとつとっても、育児の日々では何かができるようになる様子をたくさん目の当たりにしますが、「優しさ」に関しては習得するものではなく、人に元々備わっているんだということを、1年前に兄になった長男の姿を見て感じています。

つい先日、怒られて泣いている長男のところにまだ喋れもしない次男がハイハイで駆け寄っていき、つかまり立ちをして一生懸命腕を振りながら慰めている様子を見て、より一層確信に変わりました。

どうして大人になると、親切にすることを時に面倒くさいと思ってしまうんだろう。

与えるよりも与えられることを待ってしまうんだろう。

きっとそれは、優しさを持っていないのではなく、その上にありとあらゆる性格、事情や感情が被さってしまっているだけなんだろうなあ。

 

育児においてしんどいこと、その一つに「子どもの純真無垢さに対して自分自身の嫌なところが浮き彫りになる」というのがあると思っていて、意地っ張りで天邪鬼な私は何度となくそのダメージをくらってきました。(笑)

自分のストレスを攻撃的な言葉にかえたり、嫌味を言って爪跡を残そうとしたり…。

そんなことに時間と労力を割いたりせず、好きなこと・やりたいことに全力で毎日忙しそうな長男。

彼のシンプルさに多少なり学べたのか? 2度の育休を経て会社に戻ったとき、ボスに「穏やかさん」とあだ名を付けられました。(一体今までどれだけピリついていたのか…。笑)

自分で自分を穏やかだと思ったことがないので、このあだ名には未だにむずむずしてしまいますが、これまでの人生で一番、今が「生きやすい」という感覚は確かにあります。

守るものは増えたけど、無駄なものが取れて、身軽な感じというか。

 

この先いろーんなことがあるんだろうけど、今子どもたちが見せてくれている本質を、忘れないようにしたいです。

 

「必要な時間」を知っておく大切さ

長男は、私と関わる時間が短くなると、露骨にストレスを露わにします。(例えば先日、夜仕事があって私が部屋に籠っていると、いつもなら絶対に触らない引き出しを勝手に開けて、止められたのに空き缶を触り、ちょっと切り傷ができてしまって心がポッキリ折れていました…。)

子どもは本能的なので、自分にとって今何が必要なのか、意識していないにしてもよく分かっているんだろうなあと感じます。

 

一方、大人は。

この夏、夫と過去一番深刻な話し合いをしました。

幸い、お互い見ている未来は同じだったので軌道修正できましたが…。

今思えば、2人育児が始まり、夫は転職・私は復職し、何とかリズムを掴めてきたと思ったら次男が動き出して目が離せなくなり、長男のお喋りにも対応しないといけない日々。

とにかく夫と2人、一個人として過ごす時間が、知らず知らずのうちに無くなっていたことに気づきました。

 

「父」「母」「株式会社〇〇の△△さん」という、何らかの役割を背負って過ごす時間が1日の大半。

そういうのを全部取っ払った「自分」としての感覚が 実はとても大切で、なんなら子どもたちは今、常にその状態なんですよね。

豆から挽いてコーヒーを淹れる時間。美味しいご飯を食べにいく時間。カラオケする時間。会いたい人に会いにいく時間。

誰のためでもなく、自分のために必要な時間を、ちゃんと知っておくこと。

 

今の自分は、母という生き物に変わったのではなく、着替える衣装が一つ増えただけ。

もちろん時間と共に、その衣装がとても心地よくなって、本来の自分と馴染んでいくこともあるんだろうけど。

バランスを保つために、脱ぎ着する感覚はしばらく意識して持っておきたいな、と思う今日この頃です。

 

10年、20年後の生活が楽しみ!

自分のための時間を確保する活動(?)の一環で、会社メンバーのやすよ・いくみと共に、新宿ゴールデン街にご飯を食べに行ったとき。

両親ほどの年齢の大人たちがたくさんいて、1人だったり集っていたり、皆思い思いに楽しんでいる姿を見て、シンプルに夫と自分の未来がめちゃくちゃ楽しみになりました。

こんな日常が待っているのか!と。

 

この交換日記の記念すべき1本目のタイトルが、子育てする自分のバイブル的存在になっているんですが…。

vol.1 村上萌編「今日はきっと、20年後の私がタイムスリップに大金を払いたいほど尊い一日」

 

今だけ見ていると あーもー無理!になってしまう事象も、20年後に気持ちを飛ばせば大金を払ってでも戻りたい瞬間だ、という訓練(?)を この記事のおかげで日々積んでいたので、その抽象的だった“20年後の自分”に、初めて具体的なイメージが湧いて、嬉しかったんです。

楽しい未来は、楽しい今が続いた先に待っているものだとも思うから。

「今」を消化試合ではなく、尊い瞬間としてできる限り記憶に、心に残すために…2021年春に立ち上げたTHE FAMILY NOTEはとても有用だなと、手前味噌ながら感じている日々です。
(もう少ししたら2023年度版の予約を開始するので、1人でも多く届けられるように頑張りたい)

子どもたちと過ごす日常を味わい尽くして、20年後、ゴールデン街で夫と肩を並べてしょうもない話で笑えたらいいなあ。

そんな日々を目指して、母4年目も邁進します!

 

さてさて、お次はでわさん。

つい先日、COMMON FIELDに遊びに行ったら約束なしで偶然でわさん一家と出会って、庭を走り回る子どもたちを眺めながら「大きくなったねえ」と共に感傷に浸ったね。いい時間でした、ありがとう。

でわさんには今、どんな景色が見えてますか?

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