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こんにちは、あやのです。

この日記でも過去、「4歳2歳は大変だと聞くので震える」みたいなことを書いたことがあると思うのですが…

覚悟しつつ、実際そのフェーズに入って5ヶ月ほど経った今。むしろ大変さが減って、めちゃくちゃに可愛く面白いタイミングなのでは?と感じながら日々を過ごしています。

思い返すと、我が家の場合は3歳1歳のほうがよっぽど大変だったかも。(この期間で、確実に飲酒量が増えました。爆)

親側のマインドやスキルアップも多少あるとは思いますが、特に下の子がだいぶ意思疎通とれるようになったのが大きく、兄弟で過ごす時間が増えてそのやりとりを見るのも可愛いし、不完全な言葉で一生懸命喋るのも可愛いし、口をへの字に曲げてぽろぽろ涙を流して泣く顔も可愛いし、オムツで短足でまだプニプニ感が残っているフォルムがもう存在しているだけで可愛い。

敬愛する日常写真家のヌマヤマカオリさんが、ずっと前から「2歳最強説」を唱え発信してくれていたおかげで、今2度目の2歳育児に携われることを心から“有り難い”と思えています。(1人目のときはちょうど下の子が生まれたタイミングで、とてもそんな余裕はなかった…)

4歳の長男とは、2人で出かける時間が本当に楽しくなりました。「連れて行く」からの完全な脱却!母子留学、なんてものにも興味が湧き始めた最近です。

こういう今の気持ちも、この日記という場所があるおかげで言葉にして残しておけること、そして誰かと分かち合えることに感謝。SNSも、疲れてしまう側面もあるけど、子育ての上ではプラスも多いなあと改めて感じます。

さて、今回のテーマは「かつては子どもだった私たちが、子どもの行動や言葉でハッとすること」

もう、日々ハッとさせられてばかりなのですが、特に最近心に残っていることをまとめます。

1. 習い事を泣きながらも諦めない長男
2. 2歳次男の「ありがとう」
3. 「だめっていうのは、もういなくなっちゃうってことだよ。そういわないで。大丈夫だよ」

 

習い事を泣きながらも諦めない長男

「変化」って「刺激」であって、それをポジティブに求める人もいれば、ネガティブに感じる人もいる。うちの長男は、今のところ完全に後者。

そんな長男にとって、毎週末のスイミングでクラスが変わったり進級するタイミングは結構な試練のようです。

ちょっと前にテストで合格して進級したのですが、その翌週から「上のクラス怖い」「スイミング行きたくない」「もうやめる」と家を出る前からヒンヒンシクシク。写真上は、向かうバスの中でナーバスになっている様子。

こういうときに親として、とれる態度もかける言葉もきっと無限に可能性があって、毎回こちらの方が試されている?とすら感じるのですが(笑)

これまでの彼との付き合いの中で、私が知っていることは、彼は決して諦めたいわけではないこと。
彼の「行きたくない、やめたい」は、その言葉通りではなく、変化に対する拒否反応であること。

それを踏まえて、「そうかそうか、わかる。一つ言えることは、今日スイミングやめちゃったら、今以上泳げるようにはなれないよ。今のまま、止まっちゃうよ。それでもいい?」と声をかけました。

「それはやだ」と長男。

結局、泣きながらも服を脱ぎ帽子をかぶって、泣きながらもレッスンは少しも休まず、終わった後更衣室で誇らしく「泣いちゃったけど、最後は楽しかったよ」と話してくれたその姿を見て、人はどんなに小さくても未熟でも、心の中に燃えている火があること、その火がちゃんと燃えてさえいれば、頑張れるんだと教えてもらいました。

長男の場合、「諦めたくない」がその火を燃やす一つの原動力なのかな。

子どもの真っ直ぐな言葉はある種尖ってもいて、真正面から受け止めて傷ついたり疲弊したりしてしまうこともあるけど、短い人生で獲得した表現力の限界を想像しつつ「本当はどうしたいか」に寄り添い引き出してあげられる存在でありたいな。と、自分の中でも思いが明確になった出来事でした。

 

2歳次男の「ありがとう」

親バカフィルターは百も承知ですが、うちの次男は「ありがとう」がとてもじょうずです。

こちらが期待していないような(するのもどうかと思いつつ)タイミングでも「あぃがと」と言ってくれるので、「え!?なに!?どういたしまして!!!!!!(ちゅー)」となります。(笑)

意識して教えたというわけでもなくむしろ次男には何も教えられている気がしないのですが(ごめん)、「ありがとう」ってやっぱりもらうとすごく幸せな気持ちになるし、良い言葉というかコミュニケーションだな、とこちらが再認識させてもらっています。

そのおかげで、長男にも次男にも、「ありがとう」をちゃんと伝えられること自体が当たり前でなく、素晴らしい態度であることは意識して伝えるようになりました。

「有難う」という漢字が昔から好きで、手書きの機会にもよく漢字を使うのですが、2歳児のナチュラルな「あぃがと」を浴びられる今の時間も、いつかの自分にとっては有るのが難しい状態になるやもしれない。噛み締めて過ごそうと思います。

 

「だめっていうのは、もういなくなっちゃうっていうことだよ。そういわないで。大丈夫だよ」

先日、私の祖母が一時危篤状態となりました。

小さい頃から嫌だ嫌だと思い続けてきた「その時」がやってきたのかと思うと辛くて、いろんな感情を処理できず、祖母の意識が戻るまでの数日間は別の人間になったような感覚で過ごしていました。

家族の前でも気を抜くとボロボロ泣いてしまい、元気が出ず、夜子どもたちと寝室に入ったときにふと「お母さん、もうだめだー」とこぼしてしまったとき。4歳の長男がかけてくれた言葉です。

「だめっていうのは、もういなくなっちゃうっていうことだよ。そういわないで。大丈夫だよ」

内容も、優しさも、4歳でもうそんなこと言えるのという驚きも、咀嚼しきれないまま有難うを伝えて、忘れないようにLINEにメモし、母にそのままコピペして送ったら「あなたは幸せだね」というようなことを言われ、その返しにもまたハッとさせられました。

こんなことを書くのはどうかとも思うのですが、私は小さい頃に曽祖母が亡くなったとき、正直どこか他人事で涙も流れず、その事実が淋しいな、と思ったことをよく覚えていて。

それはきっと、一緒に過ごした時間が短かった、関わりが薄かった、共通の思い出がない、などによるもので、だから出来るだけ子どもたちにはひいおばあちゃんに会ってもらいたいなあ、と考えたりもしていたのですが…

長男にもらった言葉を受けて、別に彼らとひいおばあちゃんとの関わりが薄くたって、お葬式で涙が流れなくたっていい。私が、おばあちゃんを大切に思っていたという事実だけちゃんと伝わればいいし、それはもうきっと伝わっているんだな。と。

もう発語もなくなってしまった祖母と過ごせる時間はあまり長くないと思うけれど、受け止めて、家族のバトンを繋いでいきたいです。

 

さて、しんみり終わる流れになってしまい申し訳ないねえ、やすよちゃん。(笑)

2人育児が始まって半年ほど経つ今、どんな景色が見えてますか?

それまで一人っ子だった長男が兄になっていく姿とか、グッとくるものがあるよね。

やすよの言葉で綴られる日記、楽しみにしています!

 

Illustration:Chiharu Nikaido
Editor:Ikedo Rina

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