こんにちは。NEXTWEEKEND代表の村上萌です。
子育て交換日記が約半年の月日をかけてまたトップバッターの私の元に戻ってきました。
普段から子育てに関する持論を言語化しているわけではないけれど、定期的にこの子育て交換日記がまわってくることで、自身の子育てのフェーズを客観的に見られるのが楽しみだったりします。
今回のテーマは「かつては子どもだった私たちが、子どもの行動や言葉でハッとすること」にしたいと思います。
余談ですが、娘がまだ赤ちゃんだった頃、静かな新幹線の車内で泣いてしまったことがありました。
周りには険しい顔をして新聞を読む年配の男性に綺麗な格好をしたお姉さん、赤ちゃんの声が許されないような静けさでした。
慌てて席を立ち、しばらくして席に戻った時スーツを着た男性に「お母さん、あまり気にしないでくださいね。ここの車両にいる人全員が昔は子どもだったんだから」と言ってもらって、じわっと優しい気持ちに包まれた経験があります。
毎日、目の前のことに感情をいっぱい使って、思い出を上書きして生きていると、自分自身でも忘れかけてしまいそうになる“かつて子どもだった”という事実。
スーツを着た見知らぬ男性のその言葉に励まされて以来、“THE 大人”な言葉や行動に触れるたびに、良くも悪くも「どんなプロセスでこの人はこの言葉を使う人になったんだろう…?」と想像することが増えました。
と、バトンを回す前の前置きが長くなりましたが、私たち大人に比べて、触れる情報量が圧倒的に少ない子どもたちは、いつだって無邪気に本質をついてきます。
小学校入学が目前に迫った我が家の娘は、日々映画やドラマ、アニメ、街角の看板、絵本、すべての言葉をインプットしながらものすごい勢いで自分の思想を言語化してアウトプットをするようになりました。
最近印象に残ったセリフを3つご紹介させてください。
「怒っても伝わらないから、ママが悲しかった気持ちを伝えな?」
私はその日の嬉しかったことや失態、悔しかったこと、腹が立ったことなどを、1人の時やお風呂の中で悶々と考えながら、突然「わーん!」とか「もー本当に嫌だ!」「最高なアイデアだ!」なんてことを口に出すタイプなのですが(文字にすると変だな…。)娘の前ではそのままお構いなしに1人同様の仕草をするので、「はいはい、今度は何?」と質問をしてくれるようになりました。
その流れで彼女はすっかり相談相手でもあるのですが、先日珍しく腹立たしいことがあり、それに対して娘に言われたのが「怒っても伝わらないから、ママが悲しかった気持ちをちゃんと伝えな?」という一言でした。
その時初めて、「そうか…。自分は悲しかったのか」という一次感情に気付き、すーっと怒りがおさまって、無事に相手と良いコミュニケーションをとれたということがありました。
怒りはいつだって二次的な感情で、本質的には何か伝えたいメッセージがあるという大切なことを思い出した瞬間でした。
「今の悩みは、もう少し早く生まれたかったこと。ママのばあばに会いたかった」
娘に今の悩みを尋ねた時に、出てきた言葉でした。
何か疑問があるとすぐに「スマホで調べてみて!」と言う娘にとって、情報がスマホの中にあるのは当然の価値観。
大人たちだって情報を見ただけなのにすっかり知った気になっていることが沢山あるはず。
そんな中、私にとって大切な亡き祖母に対して、娘が勝手に“きっとこんな感じかな”と想定して終わらせるのではなく、ものすごくアナログな願望を持ってくれたことに、なんだかすごく温かく嬉しい気持ちになりました。
「パパとママの真ん中に1人で暮らそうかな」
夫の転勤が決まり、一緒に移動するか別々に暮らすかを悩んでいた時、娘に「ねぇ」と話しかけられ、真剣に言われた一言でした。
彼女なりに今の生活が大好きで、駄々をこねたとしても事態が変わらないのは分かっているからこその提案だったのだなと思うと、ぐっとくるものがありました。
夫婦で一生懸命考えた上で、結果的に夫は単身赴任の道を選んだのですが、娘には次にパパに会えるのがいつかという目処を必ず伝えて、常に楽しみを作ること、とはいえ新しい日常も、仮の生活ではなくちゃんと安心させてあげることを大切にしようと改めて思う言葉でした。
さて、次にこのバトンを渡すのは大阪から横浜に引っ越して3兄弟を育てるなおちゃん。
日めくりカレンダーにしたいような関西弁のパワーワードが飛び交う日々だと思うけど、そちらは最近どうですか?
Illustration:Chiharu Nikaido
Editor : ふじのあやこ