私の育った家では、8月31日に海の家が解体されていくような切なさで、9月の始まりとともにてきぱきとすべての夏グッズがしまわれていく。
青やクリアの涼しげな器、ガラスでできたヤシの木や、浮き輪を持った愉快なアヒルの飾り(説明の難しい飾りが多いのだけれど…。)、レモネード用のピッチャーまでもが、来年の夏にまた引っ張り出されるであろう一つの箱に詰め込まれる。
Photo:Akiko Tsunoda(サンマーク出版「受けつぎごと。」の告知記事より)
夏の終わりが他の季節よりも寂しい気持ちになるのは、かつての長かった夏休みを引きずっているからなのか、はたまたファッションとともに得られる解放感、日照時間の問題なのか…。
いずれにしても、また1年もこれらの夏グッズに会えないと思うと悲しくて、小さな頃は秋が嫌いだった。
そして、その箱の中にもう来年は会えないものがあるとしたらなおさらのこと。
私の両親は、19歳の頃に小学校の同窓会で出会って、数年後に結婚することになったふたりだった。
そんなふたりは出会った頃から夏になると必ず伊豆を旅していたらしい。
父に至ってはひとり旅をしていた14歳の頃から通っていたようで、私や弟が生まれてからも、両親は毎夏伊豆に連れて行ってくれた。
可愛がってくれる女中さんがいる常宿もあったけれど、途中で経営が変わってしまったり、少しずつ旅の行き先が変わったりする中でも、絶対に変わらなかった場所のひとつに、サニーサイドというカフェがあった。
今時の海の家というよりも海の前にある家という感じで、吉佐美大浜という海岸の目の前にある、別荘のような木造のカフェだった。
海から上がって水着にバスタオルを羽織ってこのデッキ席でビーフカレーを食べることも、ここでは父が必ずバニラシェイクを頼むことも、全部好きだった。
生まれたばかりの娘のことも、もちろん連れていった。
この秋で、45年続いたサニーサイドが閉店することになった。
もうこの海に行っても戻る場所がない。
父が海外で仕事をしていて普段は会えなかったこともあって、この旅行が特別だったからか、私は夏の“お決まり”シリーズに支えられて、学校で嫌なことや頑張れない時があっても、心に帰る居場所があるような気すらしていた。
まだ成人してから15年くらいしか経っていないと、人生も馴染みの店を作るフェーズにあって、それがなくなるという経験は多くない。
ましてや、私の「夏」のアイデンティティそのものでもある場所。
これからはもうこの場所に正解を求めるのではなく、自分でそれを解釈して、きっとこの場所が記憶には残らないであろう娘に、私なりの夏を教えなければならない。
そんなことを改めて感じた夏の終わり、秋の始まり。
急いでお別れに駆けつけて、30年以上前の写真のパロディを撮ってみたものの、父も母もすっかり大きく(?)なって、私が産んだ娘がほぼ私と同じ顔でそこに座っているという不思議な写真になった。
ありがとう、サニーサイド。
NEXTWEEKENDが9月に掲げているテーマは「季節に身をゆだねて#風と遊ぶ」
NEXTWEEKENDが9月に掲げているテーマは「季節に身をゆだねて #風と遊ぶ」
サニーサイドは夏の箱にしまって、もう取り出すことはできないけれど、きっと、その中でずっと私の夏を作ってくれるんだろうな。
今日からでも増やしていける、新しい季節の思い出。
私も前を向いて目の前にある秋を噛みしめよう。
ロマンチックに締めるならこうだな。
「人生の“秋”の箱の中に、今年は何を入れますか?」
良い1ヶ月になりますように…!