こんにちは、NEXTWEEKENDコンテンツプランナーのやすよです。
先日、と言っても1ヶ月半前ですが(時の早さについていけません)息子が1歳を迎えました。
自分の誕生日はスーパープライムデー!という幼少期の記憶しかなかったもので(幸せ者です)、我が子の誕生日はさぞかし楽しいのだろうと期待していたのですが、いざ迎えてみると悲しくて寂しくて。
もちろん健康に1年を過ごせたことは嬉しいのですが、もう0歳のこの人に会えないんだと思うと、諸行無常を唱えずにはいられない精神状態になりました。
そして、いつか母が言っていた「あんたの誕生日は、私が頑張った日なのよ」という言葉。
当時は「そうだよね〜笑」なんておどけて聞いていましたが、やっとその言葉の重みというか、いかに大切な日だったのかを実感しました。
誰しもの誕生日は、お母さんが命をかけて頑張った日。
大人になればなるほどその日の存在感は薄れゆくものですが、0歳だろうと80歳だろうと、その日の尊さは変わらないのだから、気恥ずかしさはそっちのけで、盛大に祝うことを忘れたくないなと思います。
さて、今回のテーマは「子どもとの約束」。
あやの、でわさんに続き、我が家もまだ直接約束ができる年齢ではありません。
むしろ約束とは正反対の世界にいる彼は、このごろ習得した二足歩行で見える新たな景色にフィーバーし、日々偶然の出会い(棚にしまっていたザルや、洗剤のボトルなど…)を求めて彷徨い、私はその後ろを常に追っかけ回しています。
毎日が予想外の連続で、でもこれが終わることはなく、子どもの成長と共にパワーアップしていくのなら、そんな中でも愉快に過ごせる習慣や心持ちを築きたいなと、私なりに意識していることを3つ書いてみようと思います。
子どもとの約束
ご飯は親子のデート時間
家の中がカオスでも、家族ファースト
未来の行動を言葉で伝える
ご飯は親子のデート時間
離乳食スタート期から、変わることなく食に関心がある息子。
「え?そんなに?」とこちらが怖気付くくらいバクバク食べるのですが、今の彼は日々新しい発見が溢れている状態。
いつその関心が消えてしまうかわからないので、今のうちに「食事=楽しいこと」と知ってもらえるよう、気持ちだけでもテーマを持って、食卓を一緒に囲むようにしています。
例えば、パンケーキを焼いた朝は、いつか夫婦でロサンゼルスで過ごしたカフェのモーニング。
茶碗蒸しに挑戦した日は、ちょっと素敵な和食割烹でディナーデート、など。
特別なメニューを作っているわけではないし、ほぼワンオペの日々ということもあり、焼くだけ・煮るだけ・放置するだけ、という簡略化に命をかけているのですが、テーマひとつでテーブルへの意識ががらりと変わるなあと思っています。
食べられる食材が限られているし、子どもだけ先に食べさせた方が効率は間違いなく良い。
だけどせっかく家族になったので、一人だけ切り分けて「あーん」とするのではなく、一緒にいただきますとご馳走様をすることで、食事という文化を理解してもらいたい、家族の時間なんだと認識してもらいたいなと思っています。
この頃はその習慣が根付いてきたのか、私が席を立つ時間が長いと、私に見えるように食材を高々と掲げ、盛大に床に落とします…(白目)
私も夫も食への関心(というかもはや執着)が高いこともあり、きっと息子が食に無頓着な性格だったなら、こんなことは言っていられない状況だったと思いますが…パーソナリティは伸ばしてなんぼ。
作るのも後片付けもとにかく大変・しんどいと言われるし、その通りな離乳食ですが、「この時間は息子とデートだ!!」と思うと小さな楽しみに変わるので、これからも続けたいなと思います。
家の中がカオスでも、家族ファースト
いつか、夫が私の父にこんな質問をしたことがありました。
「どうしてこの家(私の実家)を購入しようと思ったんですか?」
私の実家は半年ほど前リフォームをして劇的ビフォーアフターかのごとくピカピカに生まれ変わったのですが、以前は物で溢れかえる、それはそれはカオスな環境でした。
主に父の仕事道具が山積みになり、私と弟の学生時代の思い出もそのまま残っていたので、とても誰かを招くことなんてできない状態。
私はそれが実家らしさでもあると思いつつ、行くたびに「カオス!!」と心の中で唱えていたのですが…
その質問に、父はこう答えていました。
「うちは世間的に見ても狭いし、おしゃれでもないし、散らかっているけど、誰に見せたいわけでもなく、人を呼びたくて買った家でもない。俺たちと子どもたちが楽しく過ごせればそれでいいんだ。」
この言葉にとてもはっとしました。
いつもなぜか「綺麗にしなければ」「これを誰かが見たら…」と存在しない誰かの目線を気にして、片付かないことへの罪悪感を抱き、勝手に心に負荷をかけていました。
子どもがいることで物量がぐっと増えるし、インテリアも妥協せねばならないことが続くので、思い描く暮らしの景色には至らない。
それでも、定期的に訪ねてくれる人といえば母くらいだし、ものが散乱していようが息子は楽しそうだし(むしろ初対面の物体に出会えて嬉しそう)、父のマインドに倣って家族のコミュニケーションを優先するほうが、圧倒的に価値があると気付かされました。
片付けに追われてせかせかし、なかなか物事が進まないことにイライラし、終わってみればヘトヘトになり…そんな親の姿より「このカオスもまるごと楽しんでしまえ!」とユーモア探検隊であったほうが、息子も伸び伸びできるはず。
何より、私が「頑張らなくていいんだ〜」と思えたのも大きいです。
大学受験の頃、私の勉強部屋を作ってくれると約束したのに一生片付けてくれず、楽しさよりフラストレーションが勝った記憶を父に唱えたくなりましたが(笑)今のライフステージにおいては、ありがたい言葉だったなと思います。
未来の行動を言葉で伝える
私には、中学生の頃から「自分の予定を話さず行動してしまう」という癖があります。
これは母に散々文句を言われ続けているのですが、なかなか直らない、というより、その順序でしか思考できない人間のようで。。。(諦めずに立ち向かいたい気持ちだけはあります)
例えば実家に住んでいた頃、前々から決まっている友達とのご飯を母には話さず、パジャマ姿でゴロゴロしていたと思いきや突如着替え、出かける直前にぼそっとつぶやき「え!出かけるの!?」と驚かれたり。
突然家を飛び出し製菓材料を買ってきたかと思えば、夜中にホイッパーをぶん回し、大量のマカロンを作った日もありました。
父も弟も突然行動するタイプなので、母は本当に翻弄された日々を送っていたと思います。(ごめん)
自分の中では考えに考え、順序をシュミレーションし、「いけるな」と算段を踏んだ上での行動なのですが、夫にも「先に言ってよ」と言われることが多いやっかいな癖。
それは家族であり大人のメンバーだから許容してくれますが、子どもには全く通用しません。
それに、息子が私を倣って同じ癖を持ってしまったとしたら、本当にやっかいだし、生きていく上で枷でしかない。
そう思って、まだ言葉を話していないし、一字一句理解していない息子ですが、「これからお仕事するから」「ご飯作りはじめてもいい?」と次の一手を言葉にするようにしています。
すると自然とわかったような顔をして、座っていてくれたりするのですよね。
自分が子どもの時、親が何もいわず何かの準備をしていたりせかせかしていると不安になった記憶もあり、どんな月齢でも少し先の見通しが立つことは、心の安心に繋がるもの。
喋ることはできなくても、きっと五感が鋭い子どもは全て理解しているのだから、言葉で予定を伝えるって大事なことだなと思います。
それが未来の習慣になって、なんでも共有しあえる親子関係に繋がったらいいな。
それにしても、つくづく子どもの無垢さに、親の長所も短所もあぶり出されるなあと実感します。
と、子どもとの約束というよりは、私のマインドの話ばかりになってしまいましたが…
子どもから生まれるコミュニケーションで「そうそうそれを大事にしたかった!」と、眠っていた本質に気づかされることばかり。
その発見を逃さずに、親子の習慣に変えていきたいと思います。
今回のお題は私で最後なので、またボスの萌さんにバトンを戻します。
まもなく5歳を迎える杏ちゃん(早すぎる…涙)との週末の過ごし方がとても楽しそうで、未来にこんな楽しいコミュニケーションが待っているのか!と、息子と叶えたいことが膨らむ理想の子育て像。
次のお題では、どんな家族の姿が聞けるのかな。
楽しみにしています!