NEXT WEEKEND DATE

アスリートの夫の移籍に合わせて暮らし始めた長崎と、東京との二拠点生活も3年目、1ヶ月に2回程度は東京に出張に行く。

夫は、1日単位で見るとサラリーマンの方よりは時間はある方だとは思うけれど、いつ何が起こるか分からないので、基本的に私が出張に5歳の娘をつれて行くことが多い。

とはいえ東京には実家もあるので、育児面ではかなり助かっているのだけれど…、と、そんな話は割愛して、ここで書きたいのは、先日長崎空港に向かうために朝の準備をしている時のこと。

だいたい1週間くらい家を空けるので、出かける前は自分と娘の数日分の荷物を詰め、できる限り家を片付けていきたいと思っているにも関わらず、10年以上各地で二拠点生活をしてきたせいか、私は変に慣れてしまっていることもあり(持ち前の性分もあると思うけれど…)、そのほとんどを出発直前に行う悪い癖がある。

その日も案の定バタバタしていたので、最近やっと自分の準備は自身で行い、家事の役割分担もできるようになった娘に、着替えて欲しい洋服と、たたんでもらいたい洗濯物の半分を放り投げて、私は自分の身なりを必死で整えていた。

「服も着替えて、全部たためた!?」と、娘の姿を探すと、そこには私が用意した“今日の服”の上に、たたんでほしくて渡した水着を着て立っている娘がいた。

海外の女の子風だなぁなんて思って選んだギンガムチェックのズボンの存在をかき消すほど強烈な股間のハイカットがおかしくて、「ちょっとだけ、変かもだよ?」と控えめに伝えたものの、どうしても今日はこの格好で東京に行きたいと言うので、それ以上は何も言わずに車に乗せ空港に連れて行くことにした。

空港のロビーを堂々と歩く姿も含めて、どこから見てもやっぱり変だったけれど、柱の鏡に映る自分を確認しては満足そうな娘を見ると、そもそも「変」ってなんだろうという本質的な疑問に立ち返って、それ以上は何も思わなかったし、気づけば、むしろそんな娘を誇らしいと思いながら後ろを歩いた。

(空港に迎えに来てくれた義母が撮ってくれた写真。後ろを歩くのが私…)

その様子を24時間で消えるSNS、Instagramのストーリーズでだけ投稿したところ、さまざまな反応をいただいた。

(一部抜粋)

印象に残ったのは「子どもが変な格好したがる時、どう注意したらいいか」「自分だったら尊重できない」といった趣旨のコメント。

ここに掲載させてもらっている以上に多かった。

確かに、結婚式にこの格好で行ったら失礼かもしれないし(というか失礼)、雪降る真冬にこれなら寒くてかわいそうだから、ちゃんと理由を話して別の服を提案するけれど、「東京に行く」という予定に対して本人がモチベーションを上げるために選んだ服なのであれば、止める理由も、説得できる言葉も私は持ち合わせていないなと思った。

最初に「変かもよ」と言ってしまったのは、本人のためというよりは、深層心理では、子どもに変な格好をさせていると思われる自分の保身だったのかな…とも思う。

自分が「良い」と思うものを信じて、それを選び続けるというのは、人生を生きていく上で何より重要な力。

他者に合わせて「選ばない」を続けるのは楽だけど、結果に対する悔しさも喜びもその分だけ失われていくとすら思う。

こんなハイレグのお尻の娘を見て何を熱く語っているのだろうとも思うけれど、想像以上に驚きの声をいただいたので、そのおかげで無意識だった自分の育児ポリシーを知ることができた気がする。

前提として誰かを傷つけたり迷惑をかけていないか、物理的に辛くないかというところだけちゃんと教えてあげられれば、これからもどんどん選んで、自分の選択に満足してもらいたいし、親は、最大限その選択肢を広げてあげるためにサポートしたい。

将来この写真を見て一緒に笑ったりすることになるのか、さらにハイカットな水着を合わせて圧倒的な存在感を放つ人間になっているのかは誰にも分からないけれど、どちらの未来もなかなか楽しい…はず。たぶん。

 

毎月、その1ヶ月を楽しみ尽くすために提案しているNEXTWEEKENDの月間テーマ、
5月のテーマは「楽しい予定がくれるもの
みんなで楽しむSNS上でのハッシュタグは #あそびの学び

きっと我が家の娘は「自分の好きなものを選ばねば」なんて気持ちで選んだわけではなく、ただ自分が楽しくなるために意志を持ったのだと思う。

根幹にあるのは“あそび”の心。

大人たちが恥じらいや常識とともに削ぎ落としてきたその心も、きっと自分次第でいつでも取り戻せる。

5月は“あそび”から改めて大切なことを学びたいと思う。

 

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