夫の転勤に合わせて、この10年ちょっとで4箇所の街に住んだ。
引っ越しは手慣れたものだなんて思っているけれど、慣れているのは突然移動が決まった時のマインドセットだけで、実際の手続きや準備なんかの知識は、だいたい2年も経つとほとんど忘れて毎回振り出しに戻る。
今回の引っ越しは特に慌ただしかった。まず、初めて夫についていかない決断をした。娘と2人、私の地元である横浜に暮らし、夫の新天地である岩手には“通う”という選択。
2箇所に分けなくてはいけない荷物も、夫が引っ越した後、長崎の卒園式で乙姫役に抜擢された娘の任務を全うさせるべく広く寒い家で2人で暮らした日々も(古い家の冬はとにかく寒い)、その中で仕事のある東京と行き来することも、初めての小学校準備も…、思い出しては忘れていくようなTO DOと煩悩を大道芸のようにジャグリングしながら駆け抜けた数ヶ月だった。
そしてやってきた引越し当日。
私には数ある引越しの中で忘れられない苦い思い出がひとつある。
札幌から大阪に移動することになったいつかの日、引越し業者さんを送り出して、大好きだった暮らしに別れを告げるべく、すっからかんになった家を最後に点検していた時、ふと開けたキッチンの戸棚から炊飯器が出てきた。フライトまであと数時間。もうクラッチバッグのように持っていくしかなかった。
幼い娘とスーツケースと炊飯器、諸事情により空港では娘に炊飯器を持ってもらわなくてはいけないような状況もあって、自分で直接的に見た景色の中では、結構シュールの上位にランクインする思い出になった。
だから今回は、念入りに点検した。長崎の和風の家はとにかく広かった。6LDK、屋根裏も3つ、庭も広く、大阪の家の倍はあった。全ての部屋と戸棚を点検して、完璧に綺麗になった部屋を見て引越し業者さんを送り出し、あの時よりすっかり大きくなった娘と一緒に家に深々とおじきをした。
本当に楽しい3年間だった。娘が3歳から6歳になる貴重な期間をここで子育てできたこと、庭で果物やハーブを育て、ビニールプールにBBQ、なんでもない日もよく縁側で朝ごはんを食べた。沢山の友達が訪ねてきてくれて、ここで過ごした日々は間違いなく人生の宝物だった。
そんな余韻に浸りながらホテルに向かうため車に乗り込もうとした時、駐車場に1本の木が置いてあった。
庭の物と一緒に運んで欲しいと2回ほど声をかけたつもりだったけれど、忘れられていたらしい。点検時に気づかなかった私が悪い、声をかける相手にリーダーを選ばなかった私が悪い。だとしても、炊飯器を遥かに超えるボリュームの忘れ物だった。乾燥しきっていないクヌギの木というのは中までずっしり重みがある。
ちなみにこれは、長崎にいる間に椎茸の菌をドリルで打ち込むワークショップにわざわざ参加して、大切に育てている“原木椎茸”なるものだった。1年半後に椎茸が取り放題になるらしい。
置いていくという選択肢もなければ、郵送するのもなんだか悔しくてやっぱりまた担ぐことになった。
原木を担いで家を後にした日から卒園式までの間、いくつかのホテルを転々とし、その間も原木は一緒に移動し続けた。海外ならジョークで「これから戦いにでもいくの?」とか「キャンプ帰り?」なんて聞いてもらえるのかもしれないけれど、日本ではホテルでも空港でも誰にも質問されなかったので、自分としてもいつしか当たり前みたいな手荷物になった。
(荷物カウンターのゴムのカーテンをくぐって、こいつが流れてきた時は感動的だった)
新居にやってきた原木を見ると、不思議なことに長崎の家にあった時よりも愛情が増して、1年半後にどんな椎茸生活を送ろうかと心から楽しみにしている。
置いていかないでよかった、やってみたいに素直に向き合ってよかった。
毎月掲げているNEXTWEEKENDの月間テーマ、
4月は 「やってみたいを素直に」SNSのハッシュタグは #小さな挑戦 。
私のように分かりやすく新生活や節目を迎えられる方もいれば、もしかしたら地続きだという方もいるかもしれないけれど、少しでも芽生えた“やってみたい”の気持ちを大切にしながらそれを守ってみると、きっとその先には私が椎茸と愛を育んだように、新しい感情に出会えるのかも。多分。
それぞれにとって良い4月になりますように!