NEXT WEEKEND DATE

毎週金曜日の定例会議の最初に、数分だけ私が“今週シェアしたいこと”という内容を社員に伝える時間がある。


(さすがに会議中の写真がなくてケーキ切ってますが、普段はちゃんと会議しております)

「ドじゃなくてソの音で話すと相手が心地よいらしいから、オンライン会議は特に、自分の声のトーンを意識してみて」とか、「相手を“理解する”には上から目線で観察したり分析したりすることではなく“understand”という文字のごとく、相手の下に立って、相手に敬意をもち、相手の感じていることを受け止めることなんだそう。たとえ共感できなくても、努力で理解することはできるので、それぞれ心がけていきましょう」とか、その週に出会った良き出会いの報告やSNSで見かけたことなどをざっくばらんに伝えるようにしている。

先週は、ちょうど会議に向かう途中で聴いていた同世代の経営者でもある高木新平くんのオーディオ番組で心に響いたことをシェアした。

NewsPicksパブリッシング編集長の井上さんという方がゲストで、「“何者かになる”努力し、苦しみ、訪れた鬱病どん底の10ヶ月。気づいた“何者でもない”ことの大切さ」というインパクトあるタイトルだった。

その中で、現代に生きる私たちは“自由”に縛られているのではないかという話があった。

自由は、縛られるものと対極にあるはずなのに、両者ともものすごくその点で盛り上がっていたのが印象的な会話で、聴き進めると確かにそうだと思った。

生まれた場所に住み続けるとか、最初から決められた仕事をしなくてはいけないとか、そういうものがなくなって、無限の情報の中で、多様化とともに私たちの選択は日々増え続ける。

そしてAIのように常に大量の情報を処理して最適化できるわけではない人間にとっては、“自由でなくてはいけない”ということはある種の呪い、縛りになっているのではないか、という話だった。

自由のように見えて、糸の切れたタコのように浮遊していくのが果たして自由なのか、タコに糸があるようにある程度のマイルールを自分で作らないと乗りたい風にも乗れないのではないか、というような内容で、高木くんは結婚も会社も30年は続けると決めた中で挑戦をしているんだそう。

もちろんその項目も尺度も人によるとは思うけど、常に上には上がいる事実を突きつけられ、それでいて「あなたもいつでもどうぞ」と選択をさせ続けるという、自由すぎる現代社会に生きる私たちは、真面目にすべての情報をキャッチしようとするとパラレルワールドが無限に生まれて、それは葛藤と苦悩を生み出すのかもしれないと改めて思った。

とはいえ、社員に伝えたかったのは「なのでルールを大切にしましょう!」という話ではなく、むしろこれから先、会社としてはルールはもっともっと減らしていきたいとうことで、だけどそこには、自分がどう在りたいかということをそれぞれがもっと持っていてほしいということだった。

人にとっては意味のないようなことでも、自分の中でマイルールを決めながら何かを続けて工夫してアップデートいくようなことにはすごく価値があるのかもしれない、という話もした。

幸せは見つけるものではなく気づくもの、なんて言葉もあるけれど、探し続けても分かりやすい自由なんてものはきっとどこにもなくて、すでに自分が飛んでいることに気づきながら見えている景色を楽しくしていける力が大切なはず。

余談かもしれないけれど、夫の仕事の都合でこの10年以上2拠点生活を続けている私が、どこに行ってもその場所が大好きで楽しみ尽くせるのも、もしかすると制限があることもひとつの要因だと思った。夫がアスリートであるが故に、基本的には夫のキャリア次第で行く先が突然決まるため「あっちの場所を選んでいたら…」なんて思う余地は一切ない。今住む和風の家にも娘の保育園にも「本当にここに出会えてよかった!」と毎日心から感じられるのは、その制限の中でベストを尽くせていると実感できるおかげなのかなぁなんて思ったりもする。ただそれは誰かの決断に依存することがいいわけではなく、前提として“今の家族のフェーズは、夫の行く場所に合わせる”と10年前に自分の中でルールメイキングしたことが大きいのかもしれない。そうじゃなかったら、この10年の間でパラレルワールドを考えては「あそこにいたら、こんなはずじゃなかった」なんて不満を言うことだってあったかもしれない。

なんだか誰にも読まれる予定のない日記に書いた文章みたいになってしまったけれど、10月のNEXTWEEKENDの月間テーマは「秋を味わい尽くす」ハッシュタグは #かみしめる時間

 

かみしめるためには、どこかにあるものを探しにいくのではなく、目の前にある自分の景色をちゃんと捉えるところから。

この前行った長崎の五島で、家族の写真を撮ってもらったらとんでもない物語仕立てになった。

時間というのは過ぎていくばかりだから、かみしめて初めて、それをシーンとして見つめられるのかも。


写真撮影/松本治樹

それぞれにとって、良い10月になりますように!

 

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