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こんにちは、営業・広報のあやのです。

昨年11月に次男を出産し、2歳差兄弟の母になりました。

「2人目は楽だよ〜」とはよく聞くものですが、今のところ御多分に洩れず手のかからない次男。(ありがとう)

子自身がどうというより、経験値が溜まり見通しを立てやすくなったこちら側の問題なのかもしれませんが。

新生児期に縦抱きするとおでこに寄るシワ、両腕バンザイの寝姿、大をしたあとの呆けた顔、前に進もうとして後ろに下がってしまう様子…。

どれもこれも、明日には終わってしまうかもしれない今だけの尊いものだと知っているおかげで、育休中にいくぶん余裕をもって噛み締められた気がします。

一方、絶賛イヤイヤ期+やや赤ちゃん返りの長男(2歳半)。

大変なことも多いですが、それ以上に毎日少しずつお喋りが達者になり、替え歌したり踊ったり変な顔をしてみたりと 人間性も見えてきて、まあ楽しい!

ただ仕事に復帰して以来、平日子どもたちと過ごせる時間が限られる中で、喋れる長男とコミュニケーションしていると つい次男に向き合うのを忘れがち…。(ごめん)

先日オフィスに出勤した際、GARTEN COFFEEに読者さんがいらっしゃり近況を尋ねてくださったので「次男のこと全然構えてないんじゃないかと不安で…」と話したら、「大丈夫、子育て交換日記のなおこさんの記事みたいに、兄から弟に愛情が溢れていけばいいんだよ」と声をかけてくださり(!)抱えていたモヤモヤが一瞬で晴れました。

改めて、楽しい背中を見せてくれる先輩が身近に何人もいること、そして読者さんとも繋がれるこの連載の存在を、有り難く感じている今日この頃です。

 

さて、今回のテーマは「子どもとの約束」

私の場合は子どもたちがまだ小さいのもあり、自分の幼少期も含めて 家族にまつわる「約束」ってどんなものがあったかな、と考えてみました。

両親の娘であり、祖父母にとって孫である私が この数年で妻になり母になり、それ以前に(?)一人の人間であり。

家族に対してずいぶんと色んな顔を持つようになった中で、「約束」は それを交わした相手との精神的な結びつきであり、色んな顔で生きるようになった自分を支えてくれる存在なのかなあ、なんて思いました。

祖母とのエピソードを皮切りに、これからの自分と家族にとって どんな「約束」を大切にすべきなのか、じっくり考えながら この日記を書き進めてみます。

祖母との約束 -おんぶの話-
息子との約束 -動画とごはんの話-
自分との約束 -自己肯定感の話-

 

祖母との約束 -おんぶの話-

私には「ばび」と呼んでいる、大好きな祖母がいます。先日、米寿を迎えました。

 

夫を若くして亡くし、女手ひとつで2人の息子を育てた祖母。

気性の荒い家族で、息子(私の父)とは顔を合わせれば喧嘩になってしまうような厄介な関係性なのですが、唯一の孫である私と弟のことは、本当によく可愛がってくれました。

祖母が私との思い出を振り返るとき、決まってするのが「文乃には死ぬほどおんぶさせられた」という話。

活発で遊びたがりの私をとにかく連れ出さねばと、よく散歩や公園に行ってくれたのですが、行きも帰りも頻繁におんぶをせがんでいたことは自分でも覚えています。

あまりのしつこさに懲りた祖母が「今日は80回おんぶしたから、絶対いつか返してね」なんて言って、「大きくなったら私がばびをおんぶしてあげる!」と交わした約束。

それを盾に、逞しい祖母の背中にはずいぶん甘えさせてもらいました。

 

その後、その約束は正式には果たしていません。

会うたびに「おんぶ、いつ返してくれるのかねえ」と言われていた時期もありましたが、いつでも出来ると思うからこそ恥ずかしかったのもあるし、何より約束を果たしてしまったら 祖母との間で何かが終わってしまうような気がして、はぐらかしていました。

「これでばびに会えるのは最後かもね」と、大好きな一人旅に出る前には決まって冗談めかしてくる祖母との未来を、ずるずるとどこまでも引き延ばしたかった。

7~8年前、祖母に癌が見つかり、手術のため入院することに。

当時私は20代前半、前職で馬車馬のように働いていましたが、上司に掛け合って早めに上がらせてもらい、祖母のリハビリに何度か付き添いました。

いつだって背筋がしゃんと伸びていて誰よりも歩くのが速かった祖母の、管が繋がれた痛々しい姿はなかなかに衝撃的で、弱った言葉を聞くのも初めて。

一緒にいる間は必死で堪えたけれど、「じゃあね」とエレベーターのドアが閉まった瞬間 咽び泣いてしまいました。

精神的にしんどすぎて たった2〜3回しか行けなかったのに、祖母はとても喜んでくれて、これで今まで何百回としたおんぶの貸しをチャラにしてあげる、と言ってくれました。

子どもができてから、「道を歩くときは絶対に手を繋ごうね、約束!」のように、こちらが守ってほしいことを理解してもらうために約束という言葉を使うシーンが圧倒的に多くなっていました。

ただ、祖母との約束を思い返してみて、期限やルールのない約束は、それを交わした者同士の特別な絆になりうるんだと気がつきました。

「あと何歩進んだら降りてね」ではなく、将来の貸しにしてくれた祖母の愛。

今、息子におんぶをせがまれるたびに思い出し、噛み締めています。

まだまだ自分に孫ができることなんか想像もできないけど、もしそんな未来があるとしたら、2人だけの約束で絆を紡げたらいいな。

 

息子との約束 -動画とごはんの話-

次は、息子(長男)とした初めてのまともな(?)約束の話。

 

長男は食への興味が薄く、食べるより遊びたくて仕方ないタイプ。

興味がないのに強制しても意味がないので寛大に見守りたいとは思いつつ、息子の身体は小さめなので、あまりに食べないで発達に影響しても困るし…というせめぎ合い。

2歳を過ぎるまでは とにかく物理的に食べてくれればいいと、彼の好きな動画の力を借りて、動画に釘付けの彼の口にひたすら食事を放り込む日々でした。

しかし今年の3月、保育園で配られたお便りの中で、「美味しいと感じる85%は視覚からの要素」であり、食事中に動画を見せることはその感性を育てる機会を奪ってしまうため 控えた方がいい、というようなことが書いてありました。

夫も私もずっとモヤモヤしていたので、これを機に変えていこうと決意。

「史乃と一緒に美味しく楽しく食事がしたいから、ご飯の間は動画は我慢しようね。終わったら観ようね。」と伝えると、当然全身全霊で抵抗されましたが、何とか完食してくれて じんわり感動した初日。

以来、この約束は何とか守られ続けています。

先日友人が遊びに来てくれた際、その子に良く思われたかったのか、脈絡もなく突然「しーくん、ごはんのとき、どうがみないよ!」と言い出した息子。

あまりに誇らしげだったので笑ってしまいましたが、この約束が彼にとって成功体験や自信に繋がっているのなら嬉しいことだな、と少し安心したし、母としても自信を分けてもらえました。

今はまだこういう形だけど、大きくなって食事の楽しみを知った彼と、美味しいご飯を食べに行く約束ができる日を夢見て… もうしばらく、頑張りたいと思います。笑

 

自分との約束 -自己肯定感の話-

中学の頃、そこそこしんどいいじめに遭った時期がありました。

合唱コンの指揮者をしていたのだけど、練習で女子が誰も歌ってくれなかったり(笑)毎朝一緒に登校していた友人たちが何の連絡もなしに先に行ってしまってたり。

下駄箱に靴はないし、教室でも至る所でコソコソ話。

家族にバレないようお風呂でこっそり泣いていたけど、どれだけ考えても自分に非があると思えず「悪くないのに屈する必要はない!いつかは終わるはず!」と、基本的には気丈に振る舞えていました。

そんなふうにいられたのはきっと、以前の日記でも少し触れたように 親がストレートに愛情を伝えてくれていたおかげ。

自分は確実に家族にとって大切な存在であると、自己肯定感を高く持てたからだと思っています。

そしてこの経験は、子どもたちが同じようなマインドを持てるように力を尽くすという 自分自身との約束に繋がりました。

家の中での愛情表現はもちろんですが、外にいる時に 子どもの前であまり謙遜しないことはちょっとだけ意識しています。

「いやいや、うちの子なんて…」と謙遜する日本の文化(?)も奥ゆかしい面があるとは感じつつ、結構子どもは親の発言を聞いていると思うので、褒めていただいた時はシンプルに喜びと感謝を伝えますし、外でも家と同じように「すごい!」「かっこいい!」「可愛い!」とおめでたさ全開で営業しています(笑)

子どもたちのためと言いつつ、愛情表現に溢れた毎日は、私自身にとっても健やかなもの。

ずっと守っていきたい、大切な約束です。

 

とりとめのない私の話をつらつらとお届けしてしまいましたが…

家族に対する様々な思いを言語化する、いい機会になりました。ありがとうございました。

 

 

次は、でわさんにバトンを回します。

ふんわりほんわかな見た目と裏腹に、芯が強くて熱いハートを持っているでわさん。

家族との間、自分との間に、どんな約束があるんだろう。

出分家の新しい一面が知れること、楽しみにしています!

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