長崎に暮らしはじめて3年が経って、ここへ来る前とではずいぶん印象が変わった。
というのも、長崎は歴史的な背景や、あまりに有名な観光施設が多く、多くの人と同じように私も修学旅行では巡ったものの、それ以外の“日常生活”についてはあまり想像がついていなかったというのもある。
いざ来てみると、ちょっとしたリゾート地よりもよっぽど綺麗な海に囲まれていて、部活帰りに海ではしゃぐ高校生、川のそばに当たり前のようにある流しそうめん屋、ちょっと困っていると話しかけて助けてくれる人たち、外まで歌声が聴こえるほどスナックで賑わう横丁、締めのおにぎり、おいしすぎる刺身、じゃがいもと玉ねぎはもらうもの、どんな小さい祭りにも張り切るところ、とにかく知らなかった“日常”がそこにはあって、今ではすっかり、愛しい自分の街になった。
これまで10数年間の間に、群馬、神戸、札幌、大阪、長崎を経験して、上記のような発見はどこでもあると言えばあるのだけれど、修学旅行のイメージがあまりに強かっただけに長崎は特に日常が見えていなかったのだと思う。
数年前、コペンハーゲン市が新しい観光促進戦略を「観光の終焉」という大胆なタイトルとで、人魚姫像ではなくコペンハーゲン市民の生活こそが観光資源だという発表をした。
マスメディアを使ってキャッチコピーを届けるよりも、市民ひとりひとりからストーリーが伝わっていくことが大切で、観光客も観光客ではなくそのコミュニティに貢献する、一時的な市民として接するべきだという内容だった。
間違いないと思った。
私自身も、日本に限らずどの街に行っても、バスに大勢で乗り込んで施設や銅像を遠くから一目見るようなことには全く興味がなく、あたかもその街にずっと住んでいるかのようなふりをして、常連さんの隣で朝食のベーグルを注文したり、公園をジョギングしてみたり、横丁に行ったり、その一時的な衣食住体験こそが自分の毎日に発見をくれて、その街をもっと好きになるきっかけだった。
当たり前みたいに日曜市で、名物の“いも天”を食べながら歩いて、夜の商店街で酔っ払いながらアイスクリームを食べた高知。
“天気がいいから”ただそうしただけみたいにセントラルパークでランチを食べて、いつもの場所みたいなふりをしてメトロポリタン美術館の前で友達と待ち合わせをしたニューヨーク。
子どもができる前のニューヨークは絶対エアビーを選んでいたのも、暮らしを体験したかったんだと改めて痛感。
(昔の謎なコラージュが懐かしい…)
わざわざボトルを買ってセーヌ川沿いでワインを飲んだ秋のパリも、
(ヒールの高さ…)
初日には必ずヴィンテージマーケットで花瓶を買って花を活けるところから始めていたのも、この街のカルチャー、コミュニティを自分なりに市民としての景色で見てみたかったからだったんだなぁ。
観光客が一時的な市民になるためには、市民こそが自分の目の前にある“愛しい景色”を把握して、できればそれをそれぞれの視点で伝えていくことが重要で、そんなことを無意識にでも思っていたからこそ、私はどの街に住んでも #Discover○○ というハッシュタグをつけて、その街での日常を自分なりに発信してきた気がする。(もちろん自分が楽しむためでもあったけれど…)
朝晩が過ごしやすくなって知的好奇心も高まる秋は、それぞれが今暮らしている日常の景色を改めて俯瞰して愛でてみるような、そんな時間になるといいな。
9月にNEXTWEEKENDが掲げている月間テーマは「今、目の前にあるもの」
SNSで楽しむハッシュタグは #愛しい景色 。
それぞれにとって良い1ヶ月になりますように!